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分かった気になってはいけない——4月7日。ルワンダ虐殺の追悼日に現地で思うこと

今日は4月7日。1994年にルワンダで虐殺が始まった日。あれから32年。


少し前に遠藤周作の『深い河』を読みました。

登場人物のひとりに、戦争で絶望を味わった男が出てきます。飛行機で隣に座った年下の日本人男性に「分かったような口」をきかれ、「この人には絶対に分かり得ない」と内心憤る場面が。

戦地で死にゆく戦友たちを見捨てて自分だけ生き延びてきたこと。自分も死にかけたが、戦友に助けられたこと。本当に絶望を味わったからこそ、女子供にかぎらず同じ軍人だとしも内地に残っていた人間には分からないだろう、という感覚。


私はルワンダでスタディツアーを運営しています。日本からの参加者にルワンダの虐殺について解説することや、虐殺のサバイバーの方々から直接お話を伺う機会もあります。

でもこの小説を読んで、改めて強く思いました。分かった気になってはいけない

今では平然と虐殺の体験を語ってくれるサバイバーの方がいますが、こんなことを話してくれたことがあります。

虐殺のとき雨が降っていたから、今でも雨が降ると気分や体調が悪くなる。夜道を歩いていて後ろから足音が近づくと、今にも首を切られるんじゃないかという恐怖で立ち止まり、その人を追い越させずにはいられない。地方に行って林や茂みを見ると、「もし何かあったときはここに隠れられる」と今でも考えてしまう——。

目の前で家族や友人が命を奪われる瞬間を何度も目撃してきたことなんて、日本という平和な国で育ってきた自分には想像も及びません。だから、分かったような顔で軽々しくルワンダの人たちに接することは、とても失礼なことだと感じます。

とはいえ、分かろうとする努力は必要。100%理解しきることはできなくても、少しでも分かろうとし続けることはやめたくないとも思います。


今日は火曜日で、先週金曜日も祝日だったため、5連休になりました。

連休に入る前、あるルワンダ人のグループと話していたとき、「5連休だ!」ととても喜んでいる様子でした。その姿に、正直、違和感を覚えました。これって、不謹慎じゃない……?でもそれがルワンダ人の感覚なんだとしたら、部外者の自分が眉をひそめるのも違うよな、と。

この連休がなぜ連休になっているかといえば、虐殺が始まった日を忘れないための祝日だから。決してポジティブなものではないはずなのに、彼らは純粋に連休として喜んでいるように見えました。

もちろん、そこにいたのは若い世代も多かったし、当時は海外に避難していて後に帰国した人が多かったのかもしれません。でも、明らかに虐殺より前に生まれた世代の人もいました。当時を体験した人がその中にいたとしたら、手放しに喜ぶ同じルワンダ人を見て、どんな気持ちになっていたのか。傷ついたり、悲しい思いをしたりしていなかったのかな——そんなモヤモヤが残りました。

一方で、そうやって連休として無邪気に喜べることは、ルワンダがそれだけ平和になってきた証拠

虐殺追悼のキャッチフレーズになっている「Kwibuka(クウィブカ)」は、ルワンダ語で「to remember=思い出す」という意味です。みんなにとって、できることなら忘れてしまいたい出来事のはず。それでも、忘れようとして忘れられるものでもないし、二度と同じ悲劇を繰り返さないためにも、毎年こうして思いを馳せる時間は必要なんだと思います。風化させないこともまた、生き延びた人たちへの敬意のひとつのかたちなのかもしれません。


この追悼の時期は、コンゴ民との国境付近に反対勢力が残っていることもあって、テロの危険性が高まると言われています。例年は日本に帰国することが多かったですが、今年はルワンダに残ることに。

むやみに出歩いたり式典に参加したりすることは避けるべきだけど、すこしだけ近所を散歩してきました。いつもはひっきりなしに車が走る通りも今日は静かで、鳥の声がよく聴こえます。

おそらく追悼式典に向かっていると思われる、連なって走る大型バスや、国旗を立てた各国大使館の車を見かけました。

毎日この道を掃除してくれている業者の女性たちは、今日もおなじ黄色いビブスを着て、もくもくと箒で掃いてくれています。

あの日は雨が降っていたようですが、今日はとてもおだやかに晴れたやさしい日になりました。

せっかくこの時期にこの場所にいるわけで、静かに過ごしつつ、あらためて虐殺について、平和について、考え続けていきたいと思います。

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