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参加者の声〜ルワンダ虐殺を通じた平和学習〜

スタディツアーSTART参加者の、ルワンダ虐殺を通じた平和学習に関する感想をまとめました。

参加者の感想

キガリ虐殺祈念館を訪れて抱いた疑問がある。それは、なぜ近所や友人であった同じルワンダ人を民族が異なるという理由で殺害することができるのかということだ。土地の奪い合いも一因だと聞いたが、ルワンダ人は昔から原っぱでビールを飲みながら話し合って問題を解決すると以前目にした。宗主国が一方の民族を優遇することで、ルワンダ全体を間接統治したことが原因なのだろうか。
ドイツのヒトラーは、プロパガンダを巧みに利用し、ユダヤ人虐殺を実施した。カンボジアのポルポト政権は恐怖によって国民を支配し、密告する者を作り上げた。ルワンダでも行われたのだろう。なぜ虐殺を進めるための手段や方法が思いつくのだろうか。

虐殺当事者のお話を聞くという大変貴重な機会をいただいた。現実と思えないような実体験を淡々と話すグレースさん(虐殺生存者)の姿は強く印象に残っている。父の親友や牧師はなんとも心のない非道な人だと感じるが、生きていくため、彼らの家族を守るためなのかもしれないと想像した。
ディエゴくん(グレースさんのお店のインターン生)が夕食の時に共有してくれたグレースさんのお話はまた新鮮だった。何もない(資源など)内陸国のルワンダが、原始的な暮らしから今の生活を送れているのは虐殺の歴史があったからというお話だ。これは1ヶ月半という長い時間、彼女たちと暮らし、彼が積極的に関わりを持ち、受け入れられる素敵な人であることが伝わっているからだと感じた。率直にとても素敵だなと思う。言葉も文化も生活スタイルも違う場所で、1から人間性を築き、彼のような学びを得られる気がしない。ただ、彼と出会ったことにより、目指したい人との関わり方を教えてもらった。

キガリ虐殺祈念館

 

ジェノサイド当事者の話を聞いて、勝手に日本の原爆被災者とルワンダのジェノサイドの経験者は共通点(非国民と言い差別化することや米軍に殺されるくらいなら自害する所)があるように感じた
しかし、受けた傷の影響は少し違うように感じた。日本の場合は、あくまで国外(米)の脅威によった被害であり、ルワンダは国内(民族)の脅威による被害かなと思う。国内による脅威は個人の二面性をあらわにし相手への信頼(頼りにすること)が出来ないのではないだろうか。
彼女は、自分の経験をアウトプットし、感情を表に出している。辛い経験と向き合うことだけでもかなりのエネルギーを使う。たが、彼女はそれを言語化し他者と共有することで前に進めるのかなと思った。

ニャマタ虐殺祈念館

キガリの虐殺記念館、あの事件から約30年たっているにもかかわらず、多くの方がそれを見直し、思い出し、繰り返さないようにしようとしていることを感じた。事前準備でなぜ虐殺が起こったかなどは知っていたが、ヨーロッパ諸国による「都合の良い分断統治」「見た目での分断」は本当に押し付けがましいと思うし、それは現代の西洋的な開発も、もしかしたらそういう構造になってしまっているのではと考えた。

ムランビ虐殺祈念館

午後に訪れたジェノサイドミュージアムは、思ったより展示数が少なかったのが意外でした。またジェノサイドで亡くなった子どもたちの展示(特に殺害された方法)は、このジェノサイドの残忍さを際立たせる内容でした。仲の良かった隣人・友人が突然殺人者に変わるという事態は、ボスニア紛争も全く同じでした。ボスニアの場合は紛争後、イスラム系とセルビア系は和解することなく、ボスニア・ヘルツェゴビナの中にスルプスカ共和国というセルビア系住民による国家がつくられるという異様な状況を生み出しましたが、ルワンダの場合は、カガメ大統領の強力なリーダーシップによって和解が進められたという大きな違いがあることを認識しました。
それが被害者の復讐心を無理やりにでも抑えてきた面があることをグレースさんのお話は証明していたように思います。「殺してやりたいほど憎い加害者を赦す」という行為がどれほどのエネルギーを要するか、まったく想像がつきませんでした。グレースさんは加害者が変わっていく姿をみたことが、赦しにつながったとおっしゃっていました。もしかするとグレースさんのケースはレアなのかもしれませんが、単に法による処罰ではなく、被害者と加害者が直接対峙・対話をして赦しを請う/与えることで両者の関係を修復し、それにより心の傷をいくらか和らげるという方法があるのだということを学びました。
しかしこの方法は、こんな美しい表現では説明できないほど多大な精神力を必要とするように思われました。なのでグレースさんに「赦しを与えることにおいてキリスト教は役に立ちましたか?」と聞いてみたのでした。今はソーシャルビジネスをしていて生活が落ち着いていらっしゃるようにお見受けしましたが、ジェノサイドを経て自らの生活を再建させていったプロセスがどのようなものだったのか、なぜそれが可能になったのかは、もしかしたら私には一生、到底理解できないことなのかもしれません。
ミュージアムの証言映像でも生存者が語っていたように「生き残ったことがとても辛い」ということの意味を咀嚼できるまでにはだいぶ時間がかかりそうです。ただグレースさんも期待されていたように、その事実自体を伝えることは私でもできますので、アカデミックな領域を通じて、生き延びてこられた軌跡を記録に残し伝えることで、紛争の再発を防ぐ一助となるような研究をしていきたいと思っています。

アフリカ布雑貨の製作販売をおこないつつ、虐殺の体験談を語ってくれるグレースさん

ジェノサイドに関する学習を一通りして一番感じたことは、彼らはこの経験をし、ジェノサイドの後、それぞれがどうにか向き合い乗り越えて(全ての人が、克服したわけではないが)今のルワンダがあることを考えると、とてつもない努力をしてきたルワンダの人たちはリスペクトされるべきであり、やはり彼らと関わるときは尊敬の念を忘れてはならないということです。
また、国家の方針と個人の思いは別物であり、グレイスさんのようなストーリーがサバイバー一人ひとりにあることを忘れてはいけないと思う。政府は「許しを与えること」を方針とし、表向きは「みんな許し合って今のルワンダがある」というイメージだが、個人的な考えとしては、事情はあったにせよ、家族や友人を殺されて簡単に許せる問題ではないと感じていたため、表向きの印象には違和感を感じていた。中には許している人もいるが、グレイスさんのように本心としては100%許したとは言えないというのが、本当からところなのではないかと感じた。

ルワンダ虐殺で犠牲になったベルギー兵の追悼施設

キガリ虐殺祈念館訪問と虐殺当事者グレースさんのお話を聞いた。虐殺は1994年に一瞬で起きた事件というだけでない。学校に通う年齢から子供同士に限らず大人にからも不当な扱いを受け続けてきた悲しい歴史があることをお話を聞いて理解した。よく知る周りの方から暴力を受け、裏切られた心境は計りしれなく、またそれを赦すのは簡単ではなかったとお話をしていただいた。虐殺の悲劇について最も考えさせられた日であった。人々の過ちが何故起きたか、どうしたら同じことを繰り返すことを防げるか、歴史を学びを考え続けることが重要と感じた。

 

虐殺記念館では、虐殺が起こる前からその後のことまで、時系列で歴史を学びました。もともと民族的に区別があったわけではなく、植民地支配の際に、持っている牛の数や外見で人為的にツチ族とフツ族に分けられたのだと知り、この区分さえなければ迫害は起こらず虐殺にもつながらなかったかもしれない、と思うと無念さを感じました。
第二次世界大戦が終結した後、国連が発足し、平和や平等が謳われていた中でこのような悲惨な出来事が起きたことも衝撃でした。報告はあったため、国際機関が介入し阻止できた可能性もあると思いました。虐殺が起こった後、コンゴに逃れたフツ族たちを援助していた機関はありますが、国内のツチ族たちも家族を失ったり心的外傷を受けたりして苦しんでいる人々が多くいたのだと知りました。国際援助をする際には、海外から見た問題と現地の状況とでは乖離がある場合もある、ということを念頭に置く必要があると思いました。
虐殺当事者の方のお話は、とても詳細に話してくださり、一般的な説明を聞くだけでは想像できないほど悲惨なものでした。まさに九死に一生というようないつ殺されてもおかしくない状況で、子どもと共に遺体の中に隠れながら生き延びたという壮絶な経験に衝撃を受けました。キリスト教の牧師は殺そうとした一方で、ムスリムのツチ族の奥さんが助けてくれたという話も印象的でした。その人の経験が宗教観に影響を与えていることもあるので、一人の話を聞いて「ルワンダ人はこうだ」と考えてはいけないと思いました。
想像を絶するほど辛い経験を乗り越え、こうして語ってくださったことに本当に感謝ですし、当事者の方しか分からない貴重なお話をしてくださったので、風化してしまわないよう自分も知り合いなどに伝えていきたいと思います。

 

キガリ虐殺祈念館と、当事者のグレースさんのお話から、30年前の惨状と現在まで残る遺恨に深い悲しみを覚えました。 今まで机上で学んだ世界史の中の1つの出来事でしたが、そう遠くない昔に生きていた人々の身に起こった出来事であると捉えることができました。自分と同じように好きな食べ物や友達、家族がいて、それぞれの人生があって、そんな中で人為的な植民地支配による介入が国を分断し、格差や人権侵害も起こり、思想の植え付けや長年の前兆があり、身近な親族までも殺し合うような結果になってしまったということも、それを経験した方々が今生きるために仕事をしたり、あるいは今もトラウマによるPTSDやうつに苦しんでいたり、また加害者を形的には受け入れているということも、今の日本に生きている私が理解するのはとても難しいことだと感じました。

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