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参加者の声〜農村ホームステイ〜

スタディツアーSTART参加者の、農村ホームステイに関する感想をまとめました。

参加者の感想

2つの大切なことを学んだ。①暮らしている土地を歩き、知ること。②挨拶や声をかけること。
ホームステイ先に到着後、デニーズ(ホストブラザー)の案内で彼のvillage を練り歩いた。私は多くの人が行き交い、欲しいものや商業施設は全て集まる新宿で生まれ育った。また、のどかで時間の進みがゆっくりな土地で自然に囲まれる暮らしにも憧れを持っている。デニーズに植物や建物などを教えてもらいながら、ゆっくりvillageを回る時間は私にとって大変癒しであった。振り返ってみると、このような時間はこれまでの私の生活にはなかった。東京を立つまでの半年間、まずは生まれ育った地をゆっくりと時間をかけて歩こうと思う。デニーズのように全ての質問に答えてくれるような人はいないが、なんだろうと思ったら立ち止まって調べたり考えたりして進みたい。そして、来年からは県民よりも(勤務先の)熊本に詳しくなることを目標にしようと思う。
villageを歩く中で、デニーズは会う人会う人の顔を見て、笑顔で、握手をして挨拶、会話をしていた。散歩の中で、「これがこのvillage の虐殺メモリアルだよ。」と教えてもらうまで、虐殺の歴史を忘れてしまうほど、全ての住民の仲が良いように感じた。みんな、声をかけ、挨拶をし、握手をし、調子を尋ねる。とても素敵だった。私自身、今は地元で暮らしているため、地域との繋がりは強いと思う。具体的には、知り合いと道ですれ違う際は、挨拶をする。だが、以前大学で、「近所の人に挨拶をしますか。」という質問があった時、一人暮らしの学生は手が上がらなかった。4月から新しい地で一人暮らしをする上で、一つの目標として勇気を出して、新しい土地でもデニーズとその家族、友達を思い出し挨拶をする。

ホストファミリーと

ホームステイ先で朝の涼しさと陽の光を浴びるのが好き。朝食の卵がかなり美味しかった。コーヒーの木は、実り方にだいぶ差があり、キャッサバやバナナよりも手入れが必要ということがわかった。ただ、ルワンダ人にコーヒー文化が無く質の向上心など低いことがわかった。
現在でも、植民地時代の現地の適応性を感じない開発の政策が、国家の発展の妨げになっていると思った。

ムシャセクターの風景

学ぶことや、知ることで、これまで見えてこなかったことが、意識せずとも見えてくると感じた。
このように感じた話が2つある。1つ目は、ムシャ村の散歩によるものだ。散歩中に私たちはデニースからたくさんの植物や野菜の木を教えてもらった。だから、カヨンザを歩いている時に蜂の巣やアボカド、バナナ、コーヒー豆の木が目に入って来た。この変化に、少し驚いた。
2つ目は、デニーズの友好関係である。デニーズは出会った人全員に挨拶をし、調子を尋ねたり話をしていると思っていたが、そうではなかった。声をかける家庭とすれ違ってもスルーする家庭の区別が存在した。これは、トマトさん(現地在住日本人起業家)から民族間や西と東の関係があるため、従業員の雇用は数人のルワンダ人に任せてるというお話を聞いたからこそ気づけたと思う。ムシャでは、ジェノサイドメモリアル以外に、虐殺を感じる瞬間はないが、表に出ないだけで、まだ尾を引いている点を見たような気がする。

ムシャセクターの景色

ホームステイもこの日が初日。Dennisにムシャ村を案内してもらいながら、農村地域の暮らしのリアルを五感で感じ取れた。多くの住民、子どもたちから大人まで、私たちに挨拶してくれて、心温まる一時だった。電気も暗い、Wifiも通っていない、水も汲みに行く必要があるという不便さもあるが、それでも彼らは笑顔だったし、幸せそうに生活していた。アフリカ=貧しくて不幸というイメージだけで語れないことを、初日のキガリ散策も含めて踏まえて実感できた。しかし今の開発は、どこか「不幸せで不便なアフリカを救う」という文脈で語られてしまっていないか。常識や既存の理論を学びつつ、それが本当に今に当てはまるのかは批判的に考えていきたい。

ホームステイの様子

ホームステイ先のご家庭のみなさんは大変フレンドリーで、とても話しやすく、お母さんのお料理がこれまたとても美味しく、素敵なおもてなしを頂戴しました。昼食後、里佳さん(現地在住日本人起業家)のお話を伺い、里佳さんがご自身が楽しいと思った方向に向かって人生を築き上げてこられたんだなぁと、生き方としてとても参考になりました。私の勤務先の大学の学生はなかなか海外に目を向けることはない/難しいようで、学歴でその人の人生が決まってしまう傾向のある日本で、どうやって人生の選択肢の幅を広げるかを考えたとき、里佳さんや竹田さん(アフリカノオト代表)のライフスタイルはぜひうちの学生にも伝えたいと思いました。

その後デニスが村を案内してくれました。外国人が珍しいようで、たくさんの子どもたちが一緒についてきました。怪訝そうな顔をしている大人たちでも、一言こちらから挨拶をするとすぐに笑顔になってくれる様子をみると、改めて挨拶の重要さに気がつきました。村や人びとの光景をみて、生き方という点では私が今暮らしているノルウェー人と本質的にはほぼ同じだという印象を受けました。物質的な豊かさの差は大いにあれど、人とのつながりを大事にする人間らしい生き方は共通しています。日本からいきなりルワンダに来たとしたらカルチャーショックを感じたかもしれませんが、ノルウェー生活を経験してる私としては、不思議とあまりギャップを感じませんでした。

これとは別の話になりますが、村で子どもたちに囲まれていたときにデニスが写真を撮ってくれましたが、その光景に自分ながらモヤモヤを感じざるを得ませんでした。「穴の空いたTシャツを着たアフリカの子どもたち」は日本でもよくみる典型的なアフリカを象徴する絵です。純粋にかわいい子どもたちであることは間違いないのですが、この写真をもし仮にSNSで発信したとすればどういうふうに受け手に消費されるのだろうかと一瞬考えました。
国際NGO某インターナショナルが「この女の子はまだ恋を知らない」というキャッチコピーで貧しい女の子のアップ写真を使って児童婚撲滅キャンペーンをやっていますが(「貧しさ」「無知」を殊更強調するようなやり方で)、やはりアフリカに対する人びとのイメージとそれを作り上げるメディアには大きな偏見が含まれており、かつそれを再生産する物事が日常的にありふれていること、それに下手をしたら自分も加担してしまう可能性があることを考えさせられる出来事でした。

ホームステイの様子

ホームステイ先の村では、子どもたちの人懐っこさに驚きと可愛さをすごく感じました。初めは警戒していた子供たちもキラキラした目で集まってきてくれて嬉しかったです。でも、しばらくするとお金ちょうだい、水欲しい、電話番号教えてなど言われました。胸がぎゅっと苦しくなりました。何も対応できずにただ愛想笑いしかできない自分に人間の小ささを感じた気がします。
あと、散歩中に感じたことと言えば、子供たちは純粋に私たちに手を振ってくれて挨拶をしてくれるのですが、大人たちは全然そんな事はなく、警戒しているような表情でした。大人になるにつれ何がそうさせるのか、疑問と少し悲しさを覚えたような気持ちになりました。

ホームステイ先で料理のお手伝い

ホームステイでは、訪問先の村の中でも比較的裕福な家庭で一泊お世話になりました。その「裕福」を体験することで、ルワンダの一般家庭の生活の様子を垣間見ることができました。上下水道や食糧、生活必需品へのアクセス、トイレ事情など、首都や観光地での滞在だけでは知り得ないルワンダ人の日常を少しだけ体験することができました。

ホームステイ先でのご飯

・今日ホストファミリーとの対話の中で、思いもかけず、虐殺の話になり、思っていた以上に、フラットに話題としてあがったことに驚いた。また、対話の中でポールカガメ氏についても話題に上がったが、カガメ氏に対するコメントから本当に現政府&カガメ氏への嘘偽りないリスペクトを感じて、改めてその凄さを感じた。

・よく海外に出た日本人のエピソードで、「宗教について聞かれて答えられない自分が恥ずかしかった」というようなエピソードがあるが、まさに今日、ホームステイ先での夕食後の対話の話題の中心が宗教(神)についてで、ホストマザーの質問に対して誰もうまく説明できず、そのことに特に恥ずかしさこそなかったが、神が人生において極めて重要な存在であるホストファミリーの皆さんと、そうでない自分達との違いを感じて、改めてこの問いに対するクリアな自分なりの答えを考えておきたいと思った。

(余談)↑の真面目な対話の最中に、僕が思ったことを伝えようとして放った日本語に、それまで真剣な表情で通訳してくれていたイノセンス(ホストシスター)が完全にツボって、なんだ、こんなに笑う女性だったんだ!という位、お腹を抱えて笑い転げていて、とても楽しい夜になりました。

ホームステイの様子

たった1泊ではあったが、村で過ごしたホストファミリーとの時間はとても穏やかで、神秘的な時間でした。舗装されていないでこぼこ道。笑顔で興味津々の視線を送ってくれる子供達。そして、言葉が通じなくても、とてもやさしく、穏やかに受け入れてくれるホストファミリー。昔20年前、大学4年生の時に行ったタイの農村でのホームステイの時もこんな感じだったなぁというのを懐かしく思い出し、20年ぶりの感覚を味わいながら、またもう一つ、自分にとってまた大切な場所、いつか帰ってきたい場所がまた一つ増えたことを、とても嬉しく感じました。

 

農村のホームステイでお話を聞いて、ルワンダ人の中の信仰心の厚さを感じ、それが許しに繋がっているのだと思った。
イノセントが言っていた”誰でも間違う、共に生きよう“という言葉がとても重く感じる。

農村の生活は、正直日本でずっと暮らしてきた私にとってはちょっとキツイな…と思うことも多かった。でもここで毎日暮らしている人がいるんだ…と思うと、ここで生まれていたら自分はどんなだったのだろうと考えてしまう。

 

ホームステイ先では、Fezaさんが温かく迎えてくださり、一人ひとりに(ルワンダ語の)素敵な名前を付けてくださって感激しました。自分もホストファミリーに日本の名前を考えるという初めての経験をして、貴重な思い出になりました。さまざまな言葉がけやお祈りの際に、キリストの精神が根付いているのだと感じる場面が多々あり、印象的でした。今では立派な家に住んでおり、明るいFezaさんですが、両親や兄妹を殺された過去があり、苦労しながら一人で5人の子供を育て、生きてこられたのだと知りました。ルワンダではそのような悲しい過去を持つ人々も少なくないと思いますが、それらを乗り越えて生きていることに尊敬の念を抱きました。

 

村への道中では、車を抜かす時に反対車線をがっつり走っていて少し驚きました。また、田んぼや畑では皆手作業だったことも印象的でした。
Fezaさんの家では、食事が美味しくて、普段はもう少し質素なのかもしれませんが、肉も野菜があり、油や塩などの調味料も調達できているということなのかなと思いました。使っているかはさておき冷蔵庫やレンジもあったりして、数年もすればまたここもどんどん変化していくのだろうなと思いました。
1番大変だったのはジェノサイドとおっしゃっていて、心の深い傷になっているのだろうということをすごく感じました。
イノセントさんはここの村よりキガリのほうが好きだと言っていて、やはり食料や医療へのアクセスがよくなかったり、仕事もなかったりと不便なところに、都市部と農村部の差を感じました
ヘルスセンターでは休日は産科と簡単な応急処置しかしていないということでしたが、家族計画についてそれぞれ話をしているというのが印象的でした。

ルワンダを学ぶコンテンツ

スタディツアーSTART
農村ホームステイや現地在住日本人との交流などを通して、ルワンダの歴史や文化、国際協力、ビジネスを学ぶプログラム

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著書
『アフリカに7年住んで学んだ50のこと: ルワンダの光と影』
7年のルワンダ生活で得た学びを、50の章にまとめました。きっとあなたにも刺さる発見が、50章のなかにあるはずです。

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