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ルワンダ虐殺とは?概要、歴史背景、その後の民族和解

「ルワンダ」と聞いて多くの方が思い浮かべるのは「虐殺(ジェノサイド)」でしょう。映画『ホテル・ルワンダ』や『ルワンダの涙』でも描かれたこのできごとを、概要、背景、その後の民族和解という観点から整理しました。

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ルワンダ虐殺とは?

1994年4月、フツ族ツチ族の民族対立に端を発するルワンダ虐殺(ジェノサイド)が発生しました。きっかけとなったのは、フツ族出身の大統領ハビャリマナ氏の飛行機が何者かによって撃墜されたこと。これを皮切りに、ツチ族に対する虐殺が開始されました。詳細な数字はわかっていませんが、約100日間で100万人ほどが亡くなったと言われています。この混乱に終止符を打ったのが、現大統領であるポール・カガメ氏率いるRPF(ルワンダ愛国戦線)でした。

ツチ族は「ゴキブリ(Inyenzi)」と呼ばれ残虐な暴力行為を受けただけではなく、強姦やトラウマ、障害といったあらゆる傷跡を国民と社会に残したのです。未成年の少女を含む25万〜50万の女性が強姦され、2000人〜5000人が妊娠させられました。また、ユニセフの調査によると、80%の子どもが家族の死を経験、70%の子どもが誰かが殺されたり危害を加えられるのを見た90%の子どもが自分は死ぬと思っていたそうです。

ルワンダ虐殺の背景

虐殺が引き起こされた背景には、ドイツ、ベルギーによる植民地支配がありました。ルワンダは1899年からルワンダ・ウルンディとしてドイツに支配されます。ここでドイツはツチ族を優遇し、その下にフツ族を置く間接統治をおこなったのです。この間にフツ族は虐げられ、ツチ族に対する不平不満が溜まっていったと考えられます。

1919年からはベルギーが支配。1932年にIDカードが導入されて、両民族の区分が確立します(それまでは牧畜系のツチ族と農耕系のフツ族という違いはあったものの、両者に明確な区分はなかった)。

第二次世界大戦後に各国で植民地からの独立の気運が高まり、ベルギーは独立を求めていたツチ族よりもフツ族を支持するようになります。その後フツ系政権が誕生して、ツチ族への迫害が行われるようになりました。1980年代にはツチ難民は60万人に。その難民たちがウガンダで組織した反政府勢力がRPF(ルワンダ愛国戦線)で、1990年からルワンダ政府とRPFの間で内戦が勃発。1994年4月に大統領機が撃墜され、虐殺につながっていきました。

虐殺を主導したのは、与党MRND(開発国民革命運動)のインテラハムウェと呼ばれる民兵組織です。多くの市民が虐殺に駆り立てられた背景には、ラジオや雑誌によるプロパガンダの影響や、経済状況悪化による失業率増加、人口増加による土地を巡る対立、食糧不足などが指摘されています。

ルワンダ虐殺からの復興・民族和解

虐殺によってルワンダは壊滅的な被害を受けましたが、復興のためのさまざまな取組みがおこなわれてきました。その代表的なものがガチャチャ裁判です。「ガチャチャ」は「草」、つまり草の根、地域共同体でおこなう裁判という意味です。当時1万人ほどしか収容できない刑務所に10万人以上の虐殺容疑者が詰め込まれており、劣悪な環境のために数千人の死亡者が出る事態となりました。そこで裁判を迅速におこなうための措置としてガチャチャ裁判が取り入れられたのです。2001年から2012年の間に全国で約100万人が裁かれました

分断された民族が融和するために設けられた「和解の村」という場所が、全国に8箇所あります。ここでは、虐殺の加害者と被害者の家が隣り合うように作られました。全国統一和解委員会の発表した「和解指数」は、2010年82.3%から2015年92.5%に。自分の家族を殺害した人とともに暮らしていくことはとても受け入れがたい現実のように思われますが、表面上は和解が進んでいるように見えます。このような悲劇を二度と繰り返さないための教育と、国民の心のケアは今後もルワンダにとって大きな課題であり続けることでしょう。

【参考】
ルワンダ虐殺 – Wikipedia
論考:ガチャチャ裁判が命じた賠償をめぐる当事者の交渉――ルワンダ・ジェノサイドに関連する罪の赦しと和解―― – ジェトロ・アジア経済研究所

大虐殺から25年、和解へ歩み=被害者と加害者共生の村-80万人犠牲のルワンダ 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
隣人は家族のかたき、大虐殺から20年 ルワンダ 和解への道 写真14枚 国際ニュース:AFPBB News

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