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「生活できるだけでもうれしい」ルワンダのシングルマザー20世帯の生活支援開始

アフリカのルワンダでスタディツアーや情報発信をしながら、国際協力機関でも働いています、タケダノリヒロ(@NoReHero)です。

ルワンダ農村部に住むシングルマザー20世帯の生活支援プロジェクトを開始しました。近日中にクラウドファンディングを公開予定です。その前段として家庭調査をおこなってきたので、その様子をご報告します。

ダイジェスト動画↓

対象地域ムシャセクター

支援の対象地域は、ルワンダ東部県ルワマガナ郡ムシャセクター


首都キガリから車で1時間程度の農村です。わたしはここでJICA海外協力隊として2016〜2018年に生活、活動していました。

2018年に協力隊を終えてからはスタディツアーの会社を立ち上げ、いまにいたるまでムシャセクターでのホームステイや小学校との交流を継続しておこなっています。わたしにとっては第二の故郷で、ムシャセクターなくしていまの自分はありませんでした。

背景

先日、いつも通りムシャでホームステイをおこなっていたときのこと。ホストマザーのフェーザさんからこんなことを言われました。

「わたしが所属している虐殺で未亡人になったグループを支援してくれない?昔欧米の団体に支援してもらったこともあるけど、みんなノリのことを知っているし、今までのお客さんたちにも協力してもらって、助けてもらえないかな」

ホームステイのお客さまと

ルワンダでは1994年に虐殺(ジェノサイド)が起きました。国民の約1割がなくなった、大変悲惨なできごとです。30年経った今も、生き残った方々は心身ともに大きな傷を抱えて暮らしています。

現在のルワンダは「アフリカでもっとも治安がよい国」と呼ばれるほど平和になりましたが、貧困が大きな課題となっています。農村部で仕事もないムシャで、高齢になった未亡人の方々が生計を立てていくのは容易ではありません。

そこにムシャと縁のあるわたしたちが介入することで、彼女たちとその家族の生活をサポートできないか、というのがこのプロジェクトの背景です。

調査

ただし彼女たちがどんな暮らしをしていて、何に困っているのかをきちんと知らなければ、適切な支援をすることはできません。そこでおこなったのが今回の調査です。

対象者とAVEGA

支援対象となる20世帯は、AVEGA Agahozo(アヴェガ・アガホゾ)というグループに属しています。

AVEGAはルワンダ虐殺の翌年1995年に、50人の未亡人生存者によって首都キガリ結成された組織。いまではルワンダ全国規模のネットワークに成長し、20,000人以上の未亡人と 71,000人の扶養家族の生活に影響を与えています。

AVEGA は、Association des Veuves du Génocide (ジェノサイドの未亡人協会) の略称。ルワンダ語で「涙を拭う」という意味の「Agahozo」と組み合わされ、癒しと希望という使命を体現しています。

参考:About Us – AVEGA

お母さんたちと初会合!

当社のホームステイプログラムでホストマザーをつとめてくれているフェーザさんは、ムシャに複数あるAVEGAのうちのひとつのリーダーでもあります。彼女のグループには20世帯が属しており、その家族が本プロジェクトの支援対象です。

調査概要

2024年11月10日に実施した初会合と調査には、グループのなかでも特に中心的なメンバーとなっている7名が集まってくださいました。

お母さんたちとの会話はルワンダ語ですが、わたしはちょっとしか話せないので、ツアーなどでたびたびお世話になっている大江里佳さんに通訳をお願いしました。大江さんはわたしの協力隊時代の先輩でもあり、現在もルワンダでコンサルタントや通訳の仕事をおこなっています。心強い!

フェーザさんに話を聞く大江さん

7名のお母さんたちにプロジェクトの概要とわたしたちの気持ちを伝えたあと、3世帯を訪問してくわしい話をうかがいました。

想像よりはるかに厳しい生活

調査を通じてわかったのは、お母さんたちが想像よりもはるかに厳しい生活を送っているということ。

ルワンダには貧困はあるけれど、飢え死にするほどではない。現金収入はすくないけれど、自給自足や物々交換でそれなりに生活はできている。そう思っていました。たしかにその認識は間違っていないのですが、家にお邪魔して、ルワンダ語で対面でしっかりとお話を聞くと、いかにそれが大変なことなのかを痛感させられました。

「人と話すのは好きだけど、うるさいのは好きじゃない」と話してくれたベアトリスさん。親近感。

収入はほぼなし

まず、やはり現金収入はほとんどありません。今回お話を聞いた3名のお母さんたち(フェーザさん57歳、ベアトリスさん65歳、ジュリアニさん70歳)は全員無職。その子どもたちもほぼ無職か、日雇いで小銭を稼げる程度。

ムシャでもっとも一般的な日雇い労働は、他の人が所有する畑を耕すのを手伝う仕事。朝6〜12時まで働いて、もらえる日当は1,000~1,500ルワンダ・フラン程度(110~170円)。月に10日働けば1500円程度、20日で3000円程度となります。

ほかにお母さんたちの大きな支えになっているのは、FARG(ファルジェ/The Genocide Survivors Support and Assistance Fund)という準政府組織からの支援金。すべての生存者がもらえるわけではないのですが、65歳のベアトリスさんと70歳のジュリアニさんはFARGから月に11,000ルワンダ・フラン(約1200円)を受け取っており、これが唯一の安定した収入源となっています。

つまり、FARGの1200円がベースとなり、プラスアルファで日雇いの仕事をしたとすると、月の収入は2000~3000円と考えられます。

ジュリアニさんのお家。清潔に保たれています

フェーザさんの場合は年齢が若いせいかFARGの支給対象にはなっていませんが、当社のホストファミリーをつとめてくれている分、ほかの2名と比べると収入は多いです。ただしお客さんのペースには波があるため、2〜3月、8〜9月の繁忙期以外はあまり謝礼を渡せていないのが現状です。そう考えると、FARGをもらっているおふたりより、金銭的な不安は大きいかもしれません。

おもな支出は食費と養育費

月2000〜3000円の収入では、家族全員が健全な生活を送ることのできる水準にはまったく達していません。

赤土が美しいムシャの道

生きていくためにもっとも重要な食事も、ベアトリスさんの家では1日に0〜1回。食べるものもウガリ(キャッサバやトウモロコシの粉をお湯で練っておもちのようにした主食のひとつ)や豆など安くてお腹を満たせるものが中心となり、栄養素に大きな偏りがあります。

畑があれば家庭によって豆やキャッサバ、トウモロコシ、アボカド、食用バナナ(フルーツのバナナと違って、甘くなく芋のようにして食べる主食のひとつ)などが採れますが、年中収穫できるわけではありません。

さらに重くのしかかるのが養育費です。ルワンダでは日本とおなじく小中学校が義務教育で無償ですが、学費以外にも学校に通わせるための出費がすくなからず必要となります。

保育園と小学校は1学期あたり1000ルワンダ・フラン(約110円)と、そこまでの負担ではありませんが、一気に負担が増えるのがセカンダリースクール(中等学校=中学と高校)。ベアトリスさんの孫が通うセカンダリーでは、中学1年で1学期19,500ルワンダ・フラン(約2200円)。FARGでもらえる2ヶ月分のお金がこれで吹き飛んでしまいます。

フェーザさんには中学1年の孫と、高校2年の子どもがおり、中1で1学期30,000ルワンダ・フラン(約3300円)、高2でなんと1学期150,000ルワンダ・フラン(約17,000円)がかかっています。

ベアトリスさんもフェーザさんも、一気に払える額ではないため学校に待ってもらいながらすこしずつ払っているそうです。しかしいつまでも待ってもらえるわけではないため、その期日と子どもや孫の将来を考えながら過ごす日々は決して心中穏やかではないでしょう。

生活ができるだけでもうれしい

わたしはこのプロジェクトを今回だけで終わらせず、これからも続けていくつもりです。それをふまえて「将来的にどんな生活が送れたら良いですか?」とお母さんたちに聞いてみました。

しかしお母さんたちには特別な理想などはなく、「生活ができるだけでもうれしい」と答えてくれました。

ジュリアニさん(左のお母さん)は読書とお祈りが好きとのこと。おだやかな性格がうかがえました。

ほんとにその通りだよなあと、今回の調査を通して強く実感します。栄養のあるおいしいご飯をお腹いっぱい食べて、雨風をしのげるあたたかい家に住んで、子どもは何の心配もなく学校に通えて。そんな「ふつう」の暮らしさえ、いまのお母さんたちにとっては実現することが難しい状況なのです。

国際協力の世界では「魚を釣ってあげるのではなく、釣り方を教えてあげる」とよく言われるとおり、本来であればただ寄付するだけでなくお母さんたちが自分で稼いで自立できるような支援が一番良いと思います。でも高齢で体が丈夫ではなく、読み書きができない人もいるこのグループで、なおかつ特に資源や名産品があるわけでもないこの村で収入を生み出していくアイデアは、現段階ではまったく出てきていません。

ゆくゆくは自立を促す活動に移行していきたいですが、まずは一時的な支援をおこないます。わたしがみなさんと協力して寄付をすれば数ヶ月、下手したら1年くらいは食べ物の心配をせず暮らしてもらえるかもしれません。すこしでもお母さんたちの生活をよくできるよう、11月末にはクラウドファンディングを公開予定です。

ただしそこで集めたお金を寄付できるのは来年になってしまい、長い間お母さんたちを待たせることになってしまうので、いったん各家庭に10,000ルワンダ・フラン(約1,100円)、20世帯合計で約2.2万円を寄付しました。

これからもっと大きな支援をできればと思っているので、ぜひ応援よろしくお願いします。

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