日本の寄贈バスに乗ってたどり着いた明るい未来
アフリカノオト代表の竹田憲弘です。友人のパスカルさんが書いた素敵な文章を、ひとりでも多くの方に読んでもらうため、翻訳してこちらのサイトに掲載しています。ルワンダ人が書いたリアルな文章をお楽しみください。
English version:How a Japanese Donated Bus Carried Me Toward a Brighter Future
私の名前はパスカル、44歳で妻と5人の子どもがいます。これは日本の皆さんへの感謝の物語です。
初めて日本の支援に触れたのは1990年代。小学校を卒業して、故郷のキブイエから100km離れた中学校に通うことになったときです。キブイエはルワンダの中でも最も遠隔地にあり、美しいリゾート地で、エメラルド色の湖や美しい島々が広がるキヴ湖の眺めが素晴らしい場所です。
寄贈バスのおかげで通学できた
当時、ルワンダ、とりわけキブイエはまだ発展途上で、道路状況も悪く、交通手段は限られていました。唯一の公共交通機関は、日本が無償資金協力でONATRACOM(ルワンダの公共交通機関)に寄贈してくれたバスでした。
10代の頃に見た、バスの側面に描かれた日本の国旗と「from the People of Japan(日本国民から)」という文字をよく覚えています。このバスは命綱となり、中等学校や大学に通う10年以上の間、私を支えてくれました。
特に印象に残っているのは、毎日2回しかバスが出なかったこと。朝と午後に1本ずつ、いつも満員で乗るのに苦労しました。何度も出発を遅らせたり、学校に遅刻したりしたことは数え切れません。バスが故障したり、雨季には道路状況が悪化したりして、道中で一夜を明かすことも度々ありました。
それでも無事に中等学校*、そして大学を卒業し、農業技師になることができました。これもすべて、日本が寄贈してくれたバスのおかげです。この寄贈計画は私だけでなく、多くのルワンダ人の生活に大きな役割を果たしました。
*中等学校:セカンダリースクールとも。日本の中学校、高校にあたる。
天職との出会い
この文章は、日本の皆さんが絶え間ない支援をしてくださったことへの感謝の気持ちを込めたものです。皆さんの税金が政府開発援助(ODA)を通じて、発展途上国の人々の生活に変化をもたらしていることを、ぜひ知っていただきたいです。
日本とのつながりはこれだけでは終わりません。大学を卒業後、私は首都キガリに移り、仕事を探しました。父の友人の紹介で、唐辛子を輸出する農民協同組合を支援する会社で2年間働きましたが、給料が十分ではなく、転職を決意しました。当時インターネットで仕事を探すのは一般的ではなく、私は国営新聞「Imvaho Nshya」を頼りにしました。
その新聞を手に取った日のことは、今でも鮮明に覚えています。昼寝の途中、ささやかな貯金で購入した最新号をめくっていたところ、JICA(国際協力機構*)が農業技師を募集している広告を見つけたのです。その瞬間、この仕事は私にぴったりだと感じました。チャンスを増やすため、応募期間の途中と締め切り直前の2回、応募書類を提出しました。
*日本の政府開発援助(ODA)を一元的に行う実施機関として、開発途上国への国際協力を行っている。
数日後、筆記試験と面接の通知が届きました。この試験に向けた準備は、人生で最も緊張した時間の一つでした。6ページにわたって自分の経歴、経験、なぜ自分が最適な候補者であるかを書き、何度もリハーサルを重ねました。面接のときにどこから自信が湧いてきたのか、今でも不思議です。採用の連絡を受けたときの喜びは、一生忘れられません。
JICAでの経験
それから15年以上経ち、今も日本の協力のもとで農業開発の仕事を続けています。この仕事は、私のキャリアと人生の基盤となっています。セネガル、ガーナ、コートジボワール、ケニア、ウガンダ、タンザニアなど、6か国のプロジェクトに携わり、貴重な経験を積むことができました。
中でも2014年5月、神戸での研修で日本に訪れたことは特に心に残っています。温泉やUCCコーヒー博物館、明石海峡大橋、そして京都の金閣寺を訪れました。
そこで日本の修学旅行生たちと撮った記念写真や、元同僚と京都駅近くのレストランで食事をしたことは素晴らしい思い出です。
しかし私がもっとも誇りに思っているのは、自分の国の発展に貢献できたことです。日本の納税者の皆さんのおかげで実施された農業プロジェクトを通じて、何千人ものルワンダの農民の生活を改善するお手伝いができました。この15年間で、ルワンダの食料安全保障に大きく貢献した5つの大規模プロジェクトを指揮してきました。
個人的なことを言えば、JICAでの仕事は私自身の人生をも大きく変えました。仕事を始めた頃は独身でしたが、今では妻と5人の子ども(男の子3人、女の子2人)がいる7人家族になりました。この物語と私の感謝の気持ちが、日本の皆さんに届き、皆さんが誇りに思ってくださることを願っています。遠く離れた場所でも、他者を支援することが、想像を超える恵みをもたらすのです。
執筆:Pascal FURAHA
Staff of JICA Rwanda Office/ Rwandan citizen.
これからもパスカルさんが書いた記事を投稿予定です。ルワンダ人によるルワンダのストーリーをお楽しみに!
編集:タケダノリヒロ
*こちらに記載された文章は個人の意見であり、所属団体を代表するものではありません。